「家族」の過剰な重視が「家族」を殺す(エマニュエル・トッド)

日本の権力者、保守層が
明治以来の「家」制度にこだわるのはなぜか。
仮説を立ててみた。


社会の最小ユニットである「家」の構造は
そのまま組織、国家の構造に直結している。
「家」に自由・平等・多様性を持ち込めば、
その揺らぎは組織、国に直接間接に伝播し、
統治構造そのものが壊れる……
と恐怖するからではないか。


そう言えば、と思い出し、トッドの旧著を手にした。
エマニュエル・トッド『老人支配国家 日本の危機』(文春新書、2021)を読む。



「日本の読者へ」から引用する。


  「絶対核家族(親の遺言で相続者を指名)」の英米
  「平等主義核家族(平等に分割相続)」のフランスよりも、日本で老人が敬われるのは、
  「直系家族(長子相続)」という日本の家族構造が関係しています。


  「家族」を重視することで、
  日本の優れた社会の基礎が築かれてきたわけですが、
  例えば、子育てのすべてを「家族」で賄うことなど、もはやできません。
  老人介護も同様です。


  「家族」の過剰な重視が「家族」を殺すーー
  「家族」にすべてを負担させようとすると、
  現在の日本の「非婚化」や「少子化」が示しているように、
  かえって「家族」を消滅させてしまうのです。
  「家族」を救うためにも、公的扶助によって
  「家族」の負担を軽減させる必要があります。


  日本の「少子化」は「直系家族の病」と言えます。
  日本の強みは、「直系家族」が重視する
  「世代間継承」「技術・資本の蓄積」 「教育水準の高さ」
  「勤勉さ」「社会的規律」にありますが、
  そうした ”完璧さ” は、日本の長所であるとともに短所に反転することがあり、
  今の日本はまさにそうした状況にあるのではないでしょうか。

                                  (p.15)

                              (通訳:大野舞)