26年前 助けてくれた訳

クリッピングから
朝日新聞2023年5月27日朝刊
そよかぜ」◆洛陽(中国)
26年前 助けてくれた訳


  7年弱の中国勤務が終わろうとするなか、
  帰国前にどうしても会いたい人がいた。
  1997年3月、中国を一人旅していた大学生の私は、
  陜西省西安市を発った列車の中で突然の腹痛に襲われ、動けなくなった。


  うずくまっていると、正面に座る男性に声をかけられた。
  身分証から警察官だと分かったが、それ以上は何も理解できなかった。
  当時の私は、中国語がまったく話せなかった。
  列車が河南省洛陽市に着くと、一緒に降りるよう促された。


  彼は私のバックパックを抱えて駅前のホテルに入り、
  部屋代を払ってくれた。
  なぜこんなに親身になってくれるのか聞くこともできず、
  「謝謝(シエシエ)」ばかりを繰り返して別れた。
  いつか感謝をきちんと伝えたいという気持ちが、
  中国語を学ぶ動機になった。


  記者になった私は2016年から中国で働く機会を得た。
  彼の消息を追ったが、当時の住所に家はなく、
  電話もつながらなかった。
  再会をあきらめていた今年3月、
  中小企業検索サイトで何げなく名前を入力すると、1件ヒットした。
  中国では同姓同名も多い。
  表示された携帯番号にかけ、事情を話すと、
  電話の相手が「それは私だ」と言った。


  26年ぶりに訪ねた洛陽の街並みに当時の面影はなく、
  高速鉄道が横断する新市街では高層マンションの建設が続いていた。
  だが、ホテルで迎えてくれた柳普選さん(69)の笑顔は、
  あの時のままだった。
  私たちが出会った翌年に、再開発で新市街に移ったという。


  柳さんは60歳で警察官を定年退職した後、貿易会社を立ち上げ、
  忙しい日々を過ごしていた。
  「地元の工芸品や農産品を豪州やインドネシアへ輸出している。
  稼ぎは順調だよ」


  お世話になった26年前の感謝をきちんと伝えた後、
  なぜ助けてくれたのか尋ねた。
  柳さんは手を振り、照れくさそうに答えた。
  「大したことは何もしていない。
  広い中国を旅する勇敢な日本の若者だと感じ、
  力になりたいと思っただけだ。
  中国を伝える記者になって、これほどうれしいことはないよ」


  日中には、隣国ゆえ複雑な問題が数多く存在する。
  同時に、隣国ゆえ底流を脈々と流れる
  いくつもの人や文化のつながりがある。
  「私を中国に導いたのはあなたです。
  必ずまた会いに来ます」。
  柳さんの手をぎゅっと握りしめ、洛陽を離れた。

                   (冨名腰隆)



[追記:2023.6.7]

この記事を読んで「100分de名著」2023年4月、
若松英輔さんの「新約聖書福音書」講義を思い出した。



テキスト第4回「弱き者たちとともに」から引用する。
ルカによる福音書」10・30-37について解説した箇所である。


  ある人が強盗に襲われ、半死半生の状態でいた。
  その様子を「祭司」「レビ人」という
  ユダヤ人社会では高い地位を約束された人たちも目撃していたが、
  その二人は見て見ぬふりをしたというのです。


  しかし、サマリア人の旅人の対応はまったく違っていました。
  彼は、傷ついた人を介抱しただけでなく、
  それまで自分がまたがってきたろばに乗せ、
  宿屋に連れて行き、療養のための金銭まで支払い、
  不足があれば帰りに立ち寄って必ず支払うという約束までしているのです。

                               (p.87)