最初で最後のひざ枕

クリッピングから
朝日新聞2023年8月12日朝刊
読者投稿欄「ひととき」
ひざ枕の思い出


  テレビでひざ枕のシーンを見て、
  ふと夫が亡くなる2カ月ほど前のことを思い出した。
  当時の夫は、何も口にできず点滴で命をつないでいた。
  本人の希望で、娘の車で外出した。
  行き先は、病に倒れる寸前まで通った会社だった。


  四十数年間、電話工事の仕事をしてきた。
  急に職場に行けなくなり心残りだったのだろう。
  後ろの座席に夫と私が座った。
  最初はちゃんと座っていたが、だんだん姿勢が斜めになり、
  私にもたれかかってきた。
  そして静かに私のひざの上に頭を置いた。


  「肥後もっこす」でシャイで、
  決してそういう態度はみせない人だった。
  結婚して40年、初めてひざ枕をしてあげた。
  目を閉じて横たわる夫の姿を見つめた。
  夫の顔に私の涙が落ちないように気をつけながら。


  会社に近づくと、
  「ここよね、着いたよ!」と娘が言った。
  夫はそっと顔を上げ、社屋をながめた。
  何分くらいその場にいただろうか、
  夫が「もういいよ、ありがとう」と言った。
  夫はまた私のひざの上に頭を置いた。
  帰り道は、満足そうな寝顔だった。


  最初で最後のひざ枕を私に残して、夫は逝った。

      (福岡県香春町 山口和代 無職 71歳)