自分なりに、それなりにやった。現役としてよくやれた(青野照市九段)

クリッピングから
朝日新聞2024年1月27日朝刊「純情順位戦
背水の一局 18歳と戦い切った
青野照市九段 70歳の光跡



  順位戦の持ち時間は1日制対局としては最長の各6時間。
  70代が近づくと、午前10時から日付が変わるまで
  戦い続ける対局は肉体との勝負にもなる。
  19年には別棋戦で感想戦終了後に気を失い、倒れたこともある。


  「翌日に引退届を出そうかと思ったんですけど、
   朝起きてみたら元気になってて、もったいない気がして
   辞めるのをやめました(笑)。」


  年を重ねていく棋士にとって、
  順位戦は引退を回避するための舞台でもある。
  様々な引退規定が存在するが、60歳に達した棋士
  最下級のC級2組で成績下位者に付与される「降級点」が
  3回累積すると強制引退になる。


  昨期までC2で2期連続の降級点。
  青野にとって今季は現役続行のための正念場だったが、
  開幕7連敗を喫する。
  迫る去り際を少しずつ受け入れながら、
  闘志を失わなかったのは残された夢があるからだ。
  4月に迎える現役50年、
  そして目前に迫った通算800勝に到達すること。
  「将棋栄誉敢闘賞」として表彰対象になる節目で、
  過去に25人しか達成していない。


  「800勝は野球で言う200勝、2000安打
   (いずれも名球会資格)と同じです。
   負け越して800勝までいった人はいないんです。
   たぶんこれからも出ない。
   私だけなんです。
   いけば、ですけど」


  今月11日、C級2組9回戦。
  敗れれば3度目の降級点が確定し、
  現役引退が決まる勝負だった。
  相手の藤本渚は、
  藤井聡太が注目棋士として名前を挙げる18歳。
  通算勝率8割を超える俊英との
  不思議な巡り合わせになった。


  順位戦初参加初昇級を目指す
  52歳下の現役最年少棋士を青野は追い込む。
  主導権を握り、堅牢な自陣を頼りに攻め立てたが、
  藤本の放った常識外の勝負手が奏功して勝負は終わった。
  敗れて引退の決まった青野は
  「自分なりに、それなりにやった。現役としてよくやれた」
  と飾らずに言った。
  今後は、進行中の棋戦に残された数局に最後の夢を懸ける。


  藤本は
  「自分は棋士になって1年。
   青野先生は50年という想像もできないくらい長い期間、
   戦い続けてこられた。
   印象に残る対局になりました」
  と敬意を語った。


  棋士の世界が他の勝負事と決定的に異なるのは
  種類の「長さ」だろう。
  ひとつは「勝負の長さ」。
  順位戦となれば朝から真夜中まで盤上に命を賭す。
  18歳も70歳も変わらない。


  もうひとつは「歳月の長さ」である。
  青野は半世紀にわたり、燃え尽きるまで戦った。
  周りの星々のように一瞬の輝きを放つことはなくても。
  26日現在、通算799勝894敗。
  長い歳月の中で集めたのは淡くとも彩りある光だった。
  夜空の片隅に星座を描くような光跡を人々の心に残して、
  戦い続けた盤上を去る。

                 (北野新太/文化部)