江夏豊、最高のライバル(堀内恒夫)

クリッピングから
讀賣新聞2024年1月29日朝刊「時代の証言者」
エースの本懐 堀内恒夫 22
江夏 最高のライバル



  他球団で意識していたのは、阪神江夏豊投手でした。
  私の1学年下でしたが、プロ入りした時から
  投手としての完成度は、私よりも高かったですね。
  (略)


  1年後輩なのに、勝ち星で追いついてくるわけですから、
  ライバル心はいつもありました。
  巨人と阪神という伝統あるチームの中心で投げる以上、
  互いに意地があるし、なによりも勝てばチームに勢いがつきます。
  特に江夏君が相手の時は、
  「先に点を取られた方が負けだ」という意識で試合に臨んでいました。


  やはり彼とは縁があったのでしょう。
  1972年6月9日の甲子園、
  互いに通算100勝を懸けてマウンドに上がりました。
  この時は私が完封で100勝目を挙げました。
  後から聞いた話では、江夏君は私と投げ合うため、
  先発ローテーションを変えてもらうように頼み込んでいたそうです。


  3年後の75年4月20日の後楽園。
  今度は150勝を懸けて投げ合いました。
  このときは江夏君が
  八回までノーヒットに抑える快投を見せて完投勝利。
  見事にリベンジされました。
  最高のライバルでした。


    《江夏が75年オフ、南海(現ソフトバンク)に移籍するまで、
     2人は計24度先発で投げ合った。
     勝敗は堀内が11勝9敗、江夏が7勝11敗。
     堀内の対阪神通算成績は48勝29敗1セーブ、
     阪神在籍時の江夏の対巨人通算成績は31勝34敗2セーブだった》


                          (元巨人投手)