私は、この原稿を書きたかった。紙の上に書きたかった。孤独な言葉を書きたかった(最果タヒ)

クリッピングから
筑摩書房PR誌「ちくま」2024年3月号(No.636)
最果タヒ「最果からお届けします」95
真夏の夜以外も常にある夢


(表紙絵 市川春子/表紙・本文デザイン 名久井直子


  夢と言っても、演じるとか嘘をつくのではなくて、
  人は長くても100年しか生きられないし、
  永遠なんて観測できないけれど、
  永遠を信じることはできて、
  永遠という言葉を使うことができる。
  そのときの、「信じる」とは夢なのだ。
  (略)


  私という人間ひとりの世界ではなくて、
  私もあなたももつ、心の上澄みの部分、
  そこだけがきっとうっすら繋がっていて、
  そこに詩はあるのだと信じる時間だけ、
  夢としてそれはきらめくのかも。
  (略)


  反応や支持者がたくさんいれば
  その発言が強くなるとか、説得力を持つとか、
  いつから人は思うようになってしまったのだろう。
  (インターネットの話をしている。)
  言葉はいつも発した人間一人きりのものであり、
  そして届いた言葉は読む人一人きりのものだ。
  その孤独を守ってくれるから、
  あんなにも使いづらくて無数の誤解を生む言葉を、
  諦めずにもがくように使い続け、
  自分の心を伝えようとし続けられる。


  言葉は人の数に対してあまりにも種類が少なくて、
  伝えたいことをちゃんと伝えたいままに伝えるなんて無理だ。
  見えていることを他人にもまるごと見えるように伝えるなんて無理だ。
  でもそのかわり、信じているというすごく曖昧な実感を、
  もがき続けることでなんとか痕跡として残すことができる。


  何かを信じて書かれた言葉だと受け取る側が思えた時、
  その言葉は伝えたいことを伝えるわけではないけれど、
  でもその人が見ていた夢の光が届くこともあるのかもしれない。
  その人は生きていて、私も生きている、
  ということだけはちゃんと照らされて、わかるのだ。


  ネットで急速に拡散される言葉、支持する言葉、
  反論する言葉が渦巻く中で、
  私は、この原稿を書きたかった。
  紙の上に書きたかった。
  孤独な言葉を書きたかった。

               (さいはて・たひ 詩人)

                        (pp.62-63)