僕の英語勉強法(その5)

97年のカンヌ国際広告祭
僕は国際広告賞の審査員デビューを果たしました
(その4参照)。
次の試練は99年にやってきました。
会社が提携しているグループの人たちが
総勢数十人バンコクに集まります。社として初めての試みです。
僕の尊敬する上司から、社の広告クリエーティブについて
みなさんに「英語で」スピーチするよう言われました。
たくさんの国籍を持つ人たちの前で、「英語で」スピーチ?
さて、どうしよう。
テーマは?原稿は?自分にできるんだろうか?
なにもかも分からないことだらけです。
まず日本語で書いて試し書きを上司に見せると
内容は了解してもらえました。
次に当時国際担当だったベテラン女性に原稿を持っていくと
今度はあっと間に却下されました。
「原稿が日本語の論理になっていて、とても英語にできない。
 書き直したら?」
けんもほろろです。
さて、僕の負けん気に火がつきました。
僕は一晩でその原稿を自力で英語で書き直し、
女性のデスクに原稿と一緒にメモを残しておきました。
「今度は英語で書いてみました。
 これは僕のスピーチです。
 あなたが英語にしやすいかどうかの問題でなく、
 僕が伝えたいことをどうやって英語にするかをご相談しているのです。
 僕の原稿を読んでいただき、まず僕がなにを伝えたいか知っていただき、
 その上でご協力をお願いしたいと思います。
 ご連絡をお待ちします」
しばらくして、くだんの女性から電話がありました。
「あの英語の原稿、本当にあなたが一晩で書いたの?」
ようやくこの女性とのコラボレーションが始まりました。
でも、確かにこの女性やネイティブのリライターと話してみると、
僕の原稿に論理的飛躍や欠陥があることも分かってきたのです。
このままスピーチしたのでは、オーディエンスを
充分説得できないことも理解できるようになってきました。
何度も何度も書き直し、
「僕が伝えたいのは、こういうメッセージなのです」
と二人の英語コーチに根気よく説明することで、
内容をじょじょにクリアにしていきました。
結果としてスピーチは大成功で、事前にこの二人と徹底的に話しておいて
大正解でした。オーディエンスが疑問に思うことを、
二人が事前に僕に教えてくれていたようなものです。
英語のスピーチを書くことで、僕は論理の大切さを知りました。
僕は論理を越えたところに創造性があることを伝えたかったのですが、
論理がなくては、論理を越えたことを「英語で」伝えることはできません。
英語は、論理で組み立てる言語です。
そのことを僕は身体で分かっていなかったのです。
ここでも松本亨先生の本は、僕を励ましてくれました。
二人の英語コーチとの格闘と並行して、スピーチの技術について
自分でも学ぶことにしました。目標さえ明快になればこっちのものです。
正しい努力を積み重ねていけば、必ず技術は進歩します。僕の信念です。
(つづく)

英語演説 (1966年)

英語演説 (1966年)

写真は、長野ベーカリーの「フローレット」160円。
ブロッコリーと海老とタマゴをトッピングしたパンです。
朝ウォーキングのついでに買っていた
ベルリンのパン屋さんのメニューも楽しかったですが、
東京の長野ベーカリーも負けていません。
通勤するとき一駅前で下車して
15分ウォーキングのついでにパンを買う日があります。
デスクでパンと冷たいお茶の朝食をとってから一日の仕事を始めます。
同僚たちはまだほとんど出社していません。
朝は静かで仕事がはかどります。朝の時間は、活きています。