三軒茶屋で旅を定義する


「仕事」を目標設定し予定を立て
成果を得るために遂行する行為の積み重ねと定義するなら
「旅」はその真逆であるのが愉しい。そう、ありたい。
会社の近くの停留所でバスに乗り、渋谷まで行く。
これだけでも普段の地下鉄と景色が違う。
僕が普段乗る地下鉄で外の景色が見えるのは
四ッ谷駅近辺だけだ。



渋谷から田園都市線三軒茶屋まで行く。
iPhoneGPSを頼りに、弘善湯に向かう。
不定期に休む銭湯で、何度も空振りしたお遍路客もいる。
僕が小学生の時に通った近くの銭湯が
そのまま残っている雰囲気だ。
ふたつ合わせて半円形になる湯船が珍しい。
男湯の背景画は能登の見附島。女湯側は富士山が見えた。



通りすがりに気になった店がある。
その名も「たちのみや」という立ち飲み屋。
看板には10時までとあったので、
店の前のビールケースで一服している親父に
「10時まで?」と尋ねる。
それなら30分しか残っていないから、
一杯やるにはいささかせわしい。
「いや、きょうは10時半まで」
ぶっきらぼうな答えが返ってきた。
じゃあそれならと、ふらり、入る。



かなり平均年齢の高そうな常連客男女が
愉しそうにワイワイやっている。
ちょうどサッカー日本代表
アルゼンチンに1対0で勝利をおさめたゲームの終了直前だった。


店は市川準監督なら泣いて喜びそうな
映画のロケセットのようなつくりのカウンターだ。
ハムカツでも、銀杏串焼きでも、
注文を受けてからひとつひとつ作ってくれる。
ぞんざいな口調の親父だが仕事は丁寧だ。


銀杏は親父が絵画館前の銀杏並木まで出かけて拾ってきた初物。
味付けメンマはラーメン屋よりうまいと親父が自慢する自家製だ。
はしがないなぁ、と探していたら、
隣りの客が引き出しに入っていると教えてくれた。
カウンターにはしが入った引き出しが付いている。



常連がみな飲んでいた緑茶わり(店にこう表記してある)を
二杯目に真似して頼む。緑茶の味が濃くてうまい。
市販の緑茶で割るのでなく、自分で作り置きしているらしい。
酒も料理も現金と引き替えで精算。
目の前に小銭入れがあって、そこから代金を持っていく。
三杯飲んで、四品おつまみを取って、
帰りに暗算してみたら2,000円もしない。



旅はどんなに小さな旅でもそれが旅である限り、
目標も予定も成果もなにも要らない。
もし、そんなものを追い求めるなら、
少なくとも僕の定義では、それは旅ではない。
即興性、improvisation、が旅だね。
Wrong note、間違った音符を即興演奏に活かせ、
というのが僕の通ったベルリンスクールの教えだ。



10時半を回って、親父はそろそろと店じまいし始めた。
常連客たちはそれを知ってか知らずか、
無頓着に飲み続け、話し続けている。
一見客に常連気取りの長っ尻は禁物。
三茶から東急世田谷線に乗ってさっさとおうちに帰るとしよう。