セカクリ10/11クラス最終講義「DDB again」


僕が主宰する世界で一番小さいクリエイティブの塾、
セカクリ(世界クリエイティブ塾)、今期最終回。
毎年ラストは僕が塾長最終講義を受け持つ。
今期は副塾長、ゲストスピーカー、コーチらのプレゼンテーションが
豊富な内容でかつ気合いが込もっていて
とても充実したカリキュラムになった。



僕も昨年からすきま時間を見つけては準備を進めてきた。
講義のタイトルは、「DDB again」である。
内容は以下の4章で構成した。


   1. DDBとは
   2. いま、なぜDDB
   3. DDBから広告の未来に続くもの
   4. まとめ


DDBはいまから60年ほど前、
1949年にマンハッタンで誕生した広告会社である。
フォルクスワーゲン、エイビス(レンタカー)などの仕事で有名になった。
彼らの残した仕事は広告クリエーティブに生きる者にとって
基本中の基本、古典中の古典である。



しかし、若い人たちにとっては名前も仕事も知らぬ存在になっており、
中堅でもDDBの名前と
フォルクスワーゲンのヘッドライン"Think Small"くらいは知っていても、
なにがそれほど凄かったか、DDBの本質は知らない。


昨年、アメリカの広告クリエーティブ界の真実を描いた
ドキュメンタリー映画『Art & Copy』が「CM博覧会」で限定公開され、
上映前の解説で電通鏡明さんがDDBに少し触れていた。
どうせならこの鉱脈をもう一度自分自身で丹念にたどり、
自分もDDBを学び直して、若い塾生たちに本質を伝えてみようと
考えたのだ。


Art & Copy: Inside Advertising's Creative Revoluti [DVD] [Import]

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日本でDDBと言えば、
やはり先達、西尾忠久さんの功績抜きには語れない。
西尾さんは数多くの著書でDDBの仕事の価値を日本人に伝えてきた。
現在もブログ「創造と環境」を書き続けていらっしゃるので、
興味のある方はそちらも見てほしい。


ただ、今回の講義では、西尾さんの著作だけに頼るのはやめた。
海外で出版された複数の著作を参照し、一次情報を探した。
当事者たちのインタビュー、一点一点のボディコピーを読み、
自分の洞察を深めることから講義の準備を始めた。


VWビートル―発想トレーニング副読本 (1980年)

VWビートル―発想トレーニング副読本 (1980年)


1900年のパリ万博でグランプリを取った
自動車発明の父、フェルディナンド・ポルシェまで遡り、
その後、ポルシェがアドルフ・ヒトラーに出会い、
国民車(=Volkswagen)を夢想し実現しようとする歴史から始めた。
塾生たちは、「いったい、きょうの塾長の話はどんな内容になるんだ」
ととまどったらしい。


講義は恒例の塾生全員からのフィードバックまで入れて2時間半。
普段は1時間半が目安だから、大分オーバーしてしまった。
DDBを補助線にして広告の未来を考え、
そのビジョンを僕は次の言葉に凝縮してみた。
講義前夜に思いついた言葉だ。


    The Art of Dialogue
    The Heart of Dialogue


    (対話の技術、対話の心)


Artには「科学」の意味もあるから、
現在のソーシャルメディアやテクノロジーの活用から
対話の幅や深さを変えていく可能性がもっと生まれることを示唆する。
しかし、どんな対話も人と人が
よりよき社会、よりよき世界に変化させていく心を持たなければ
空しい。うわべだけの絵空事になる。
Art とHeartで韻を踏み、言葉のリズムを整えてみた。
AdvertisingからDialogueへ。
それが僕の講義の結論だ。



最終講義にはKeynoteで176枚のスライドを準備した。
原書から画像データを取り込み、使用する部分だけをマスクして
画像が水平に近づくよう角度調整。
動画データをYouTubeから取り込む。
音声データをCDにコピーしスライドに貼り付け、
Flickrで見つけた画像を取り込み、
iMovieで編集して動画データに変換する。


以上すべてを、アシスタントNさんに頼らず、
やり方だけ教わり、全部自分でやった。
iMovieの編集は実はNさんもやったことがない。
普段同居人がTokyo Copywriters' Streetのサイトの動画づくりを
iMovieでやっているのを見ているから
僕も自力でやってみた。
Macを使ってちょっとしたことが自分でできるようになるのが
とてもうれしい。


これからの時代はテクノロジーを活用して
なんでも自分でできるようにしておかないと知的活動に支障が出る。
その気になって少々努力すれば、
昔と比べてずいぶんたくさんのことが自力でできるようになったのだ。



いまの会社に出向してきた2005年の秋に
自主的に参加を表明した塾生たち数名(全員女性!)と開講したセカクリ。
5年ちょっとの歴史を刻み、この日で114回目の講義となった。
僕の想像を超えたクリエイティブの塾に育ってきたことを
素直にうれしく思う。こんな塾は世界のどこにも(おそらく)ない。


この日の講義では英語の原文を多用して、
言葉のニュアンスやリズム、頭韻・脚韻、スラングなどにも触れた。
そうしたことを自分で知るために英語をもっと勉強したくなった
と何人かの塾生が言っていた。
学ばされることは苦痛だが、学ぶことは快楽なのだ。
塾生諸君、英語を学んで使うだけでも、世界はどんどん広がり深まるぞ。


セカクリ卒業、おめでとう!