忘れ去られた思想家、武藤貞一


坂野潤治『日本近代史』(2012) を読んでいて
気になった名前があった。
「武藤貞一」である。


   この好戦的で合理主義的な軍事評論家が
   1937年9月7日に発行したこの本
   (引用者注:『日支事変と次に来るもの』)には、
   驚くべき予測が並んでいる。


          (『日本近代史』p.437より引用)


日本近代史 (ちくま新書)

日本近代史 (ちくま新書)


武藤の予測はこうだ。
日中戦争が日米英戦争に発展した場合、
米空軍の日本本土爆撃が起こり、
銃後を守る婦人たちはモンペ姿で
焼夷弾が降り注ぐ中、鎮火に当たる。
米は配給となりひとり一日当たり二合七尺になる。
身の廻りの金属製品は徴発されて武器に造り替えられる。


さらに武藤の著書から孫引きする。


   世界は全く一つの戦争の坩堝に入ってしまった。
   日支戦局は何か意外なドンデン返りを打たざる限り、
   行くところまで行かざるを得ない情勢にある。
   そしてそこへ、ソ連にせよ、イギリスにせよ、又はアメリカにせよ、
   支那と緊密なる関係国が一歩でも乗り出せば、
   ここに日支間の局面は、須ゆにして世界的大事変の口火に
   点火することとなるであろう。


       (『日本近代史』pp.439-440に引用された
        『日支事変と次に来るもの』p.14より孫引き)



坂野は武藤についてこう記す。


   1937(昭和12)年7月7日の慮溝橋事件の直後に、
   ここまで暗い未来図を描いたものは、
   武藤貞一以外にはいなかったと思われる。


               (『日本近代史』p.440より引用)


   著者の武藤は朝日新聞論説委員ながら、
   対中、対英戦争への国民的覚悟を煽った
   軍事評論家で有名であった。
   筆者(引用者注:1937年生まれ)より
   四、五歳年上の世代の人は、
  「武藤貞一」というと、それだけで顔を背ける。


               (同書p.436より引用)



坂野の著書の最後に突然現れた
「武藤貞一」に僕は興味を持った。
アマゾンマーケットプレイスで検索してみる。
坂野が引用した『日支事変と次に来るもの』は見つからなかったが、
武藤の他の著書を見つけうち7冊購入した。
もはや稀少本だが中には捨て値同然の本もあった。
いくつかの著作は英語に翻訳され出版されている。
武藤の著作は戦後アメリカの焚書の対象になった。



   (『武藤貞一評論集 脱占領体制篇』(1972; 動向社)より
著者写真を引用)


僕は武藤の名前も著書もこれまでまったく知らなかった。
坂野の記述が正確であるなら
ジャーナリズムからもはや忘れ去られた、
いやむしろ敬遠されてきた思想家であろう。
慮溝橋事件の起きた1937年に、
1945年の日本の敗戦までを予測した人間のことを僕は知りたい。
年末年始休暇の課題のひとつとして
日本近現代史の暗部を武藤の著作を軸に少し探索してみるか。


(文中敬称略)