佐藤優『十五の夏(上)』(幻冬舎、2018)


佐藤優の書く自伝風ノンフィクション小説は
もっと評価されていい。
インテリジェンス、神学の著作が有名になりすぎ、
小説は余技と思って軽視する人が多いのかもしれない。
読まずにいるのは、もったいないことだ。


細部に至る具体的描写を可能にする記憶力、記録力。
人との出会いと別れを表現する力が並外れている。
そこから自然に、気持ちを揺さぶる叙情が生まれる。
佐藤優『十五の夏(上)』(幻冬舎、2018)を読む。


十五の夏 上

十五の夏 上


1975年の夏休み、浦和高校1年生だった筆者が
ブタペシュトのペンフレンド・フィフィに会いに行くことを
主要目的のひとつとして、ソ連・東欧を旅した記録だ。
佐藤を旅に出す決心をする両親が偉い。


   旅行費用は、僕の手持ちの小遣いを入れて、48万円もかかる。
   僕は父の給与がいったいいくらか知らないが、
   浦和高校の3年間の授業料の10倍以上になることは間違いない。
   両親には申し訳ないと思ったが、好奇心を優先した。
                          (p.8)


   僕の小遣いは、高校に入学して少し値上げされた。
   中学3年生のとくは月3000円だったが、いまは月5000円だ。
   それから考えれば、
   いちばん安い30万円だって(引用者注:旅行費用のこと)、
   僕の小遣い60ヶ月分、つまり5年分だ。
   95万円ならば15年10ヶ月分になる。
   こんな巨額の経済的迷惑を親にかけることはできないと僕は思った。
                             (p.15)


   父は6時20分のバスで出勤する。
   父が6時頃、僕の部屋に入ってきた。
   僕はすぐに布団から起きた。
   父は、「あれからお母さんと相談したが、
   モスクワまでアエロフロートで行くという案でいいよ。
   75万円だったら何とか工面することができる」と行った。
                          (p.15〜16)


佐藤の父は銀行に勤める電気技師だ。
1975年の75万円は家計にとって相当の負担だったはずだ。
それでも佐藤の将来を考え、
この旅が収穫多いものであることを信じ、費用を工面した。


僕は建築塗装職人の息子だ。
東京に生まれ育ちながら、
京都の大学に5年間下宿させてもらった。
両親に対する恩を、この件を読んでいて思い出した。


佐藤はこの旅で予想以上の収穫を手に入れることになる。
その後、外務省に就職し、
ソ連大使館で勤務することになったのも
15歳の旅の影響なしには考えられない。


鈴木宗男衆議院議員をターゲットとした
検察の国策捜査事件に巻き込まれ、
執行猶予付きの有罪判決を受けることも
15歳の佐藤優は無論、知る由もなかった。


   初出:
   『星星峡』(2009〜10)『ポンツーン』(2014〜17)
   上記を加筆修正し、上下巻に二分冊


先生と私 (幻冬舎文庫)

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