石牟礼道子『魂の秘境から』(朝日新聞出版、2018)


僕たち日本人が喪失した不知火海と人々の暮らしが
目に浮かび、音に聞こえるようだった。
石牟礼道子『魂の秘境から』(朝日新聞出版、2018)を読む。


魂の秘境から

魂の秘境から


朝日新聞全国版掲載7回分の1編「なごりが原」を偶然読み、
石牟礼が美しい文章を書く作家だと知り、本書を手にした。


   祖父の松太郎は石屋の家業を破産させたあと、
   釣りで暮らした人であったが、
   幼いわたしを小舟に乗せて不知火海に漕ぎ出すと、
   大(う)まわりの塘(とも=土手)を眺め渡して、
   「なごり惜しさよ」とつぶやいたことがあった。


   今生の別れでもあるまいに、絞るような声であった。
   なごりという言葉は、波が去ったあとに残るものを指す
   「波残(なみのこ)り」からきたとも聞く。
   波あとに浮かぶ泡沫(うたかた)のような人間の身にも、
   もの懐かしさがふと胸に迫ることがある。
                   (pp.223-224)


全編が夢と現の間に漂うような文章である。
通奏低音のように音楽が流れている。
2018年1月31日掲載「明け方の夢」が絶筆。
同年2月10日、熊本市にて逝去。享年90。



(p.193より引用/写真:芥川仁)


やがて文庫版になることがあったら
一冊購入して手元に置き、音読してみたい。
芥川仁(あくたがわ じん)の写真が
石牟礼の文章に伴走し、想像力をかき立てられる。


初出:
朝日新聞西部本社版(24回分) 2015〜17
朝日新聞全国版(7回分) 2017〜18


苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

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