佐藤優『十五の夏(下)』(幻冬舎、2018)


58歳の作家/大学教授・佐藤優の原点が
15歳の佐藤優にあることがとてもよく分かる。
1975年夏、筆者15歳の時の
東欧・ソ連42日間の旅の記録だ。
佐藤優『十五の夏(下)』(幻冬舎、2018)を読む。


視覚とメモで記憶するという佐藤の筆は
細部の具体性が驚異的だ。
こんな描写がサラリと出てくる。


十五の夏 下

十五の夏 下


   小学校1年生の夏休みのことだ。
   父親に「優君、一緒に銀行に行くか」と言われて、
   団地の横を6時13分に出る朝一番のバスに乗って、
   大宮駅から東北本線に乗って、上野まで行った。


   当時、父は富士銀行小舟町(こぶなちょう)支店に勤めていたので、
   普段は京浜東北線で上野まで行って
   営団地下鉄(現在の東京メトロ)銀座線に乗り換える。
   その日は、「こっちの方が旅行の雰囲気が出るので、
   東北本線に乗ろう」と言って、
   父は東北本線の上りホームに僕を連れていった。


   当時の大宮駅は、空襲の後、廃材で作ったままだったので、
   ひどくみすぼらしかった。
   柱にも古くなった線路が使われていた。
   もっとも翌年に埼玉国体(国民体育大会)があるので、
   京浜東北線のホームは改装され、東口には駅ビルが建築中だった。
                          (pp.287-288)



中央アジアの旅—サマルカンド、ブハラ、タシケントの件が
下巻で一番面白かった。
僕はこの地域を旅したことはないが、
映像、会話、現地の砂埃や汗までが目に浮かぶようだった。
その後、佐藤が在モスクワ日本大使館勤務のとき、
中央アジア民族問題の第一人者となっていったのは
この旅がきっかけだったように思える。



(同居人が角煮を作ってくれたので、さっそく丼に)


佐藤が旅を終え、県立浦和高校のクラスに戻ったとき、
級友たちのほとんどの反応は黙殺だった。
嫉妬である。


   ソ連・東欧旅行について尋ねたのは、
   クラスでは豊島君だけで、それ以外は文芸部員だった。
   豊島君が、「みんなほんとうは、佐藤の経験に強い関心を持っている。
   しかし、誰も何も聞かないだろう」と言った。


   「どうして」
   「わからないか。羨ましいとともに悔しいんだよ」
   「どうして」
   「みんな海外には行きたいと思っている。
   だけど、そんなことを許してくれる両親はいない。
   莫大な金がかかる」


   「みんなそんな風に考えるのか」
   「浦高生とはそんな連中だよ」
   「豊島は違う。どうしてか」
   「それは僕にとって佐藤がほんとうの友だちだからだ。
   僕だって羨ましいと思う。
   それ以上に、佐藤がユニークな体験をしたことが嬉しいんだ」
                           (pp.421-422)


豊島君のような友だちを高校時代に持てたことが
15歳の佐藤の幸運であり、人徳だろう。
上下二冊がいずれ文庫になり、
日本の10代に幅広く、末長く読まれる旅行記となることを願う。


初出:
「星星峡」2009〜10
「ポンツーン」2014〜17
上記を加筆修正し、上下巻に二分冊


先生と私 (幻冬舎文庫)

先生と私 (幻冬舎文庫)

(中学時代から県立浦和高校に進学するまでの自伝小説)
(同志社大学神学部時代の自伝小説)


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追記(2019.915)
『十五の夏』が第8回梅棹忠夫 山と探検文学賞を受賞。


  「梅棹忠夫・山と探検文学賞」選考委員会


  委員長 小山修三(国立民族学博物館名誉教授)
  委員   中牧弘允(吹田市立博物館長、国立民族学博物館名誉教授)
      三村卓也(信濃毎日新聞社文化部長)
      江本嘉伸(地平線会議共同代表)
      川崎深雪(山と溪谷社社長)


講評から抜粋する。


  「第8回梅棹忠夫・山と探検文学賞」の選考委員会は3月22日、
  山と溪谷社会議室において、選考委員5人全員が出席して行なわれました。
  最終選考に残ったのは以下の4作品です。


  小松 貴著『昆虫学者はやめられない 裏山の奇人、徘徊の記』(新潮社)
  国分 拓著『ノモレ』(新潮社)
  服部正法著『ジハード大陸 「テロ最前線」のアフリカを行く』(白水社
  佐藤 優著『十五の夏』(幻冬舎


   今回の選考会では、「ドキュメンタリー」の既成概念が破られ、
  その奥深さ、無限の可能性を認識させられました。
  『十五の夏』と『ノモレ』が残り、1時間を超える議論を経て
  3対2で『十五の夏』に決まりました。
  しかし、選考委員は、どちらに決まっても納得できると評していた、
  という意味で全会一致の授賞といえます。


  『十五の夏』の著者は、紆余曲折を経て、
  外交、政治、さらに神学へと独自の視点から
  旺盛な研究、評論、執筆活動をつづける異能の作家です。


  本書は、1975年、浦和高校に入学した15才の夏、
  著者がたった一人で冷戦時代のソ連、東欧を旅した42日間の記録です。
  上下2巻870ページに及ぶ大著ですが、
  筆者ならではの筆力と、少年の眼と感性を巧みに織り込んだ
  素朴な味わいが漂う作品に仕上がっており、一気に読み通すことができます。


  少年は48万円もの経費を負担してもらい、
 「両親に申し訳ないと思ったが、好奇心が優先」したのです。
  その準備は周到で、15才とは思えない読書量、理解力、行動力、
  現地で出会った人々との会話力は、今の著者を彷彿とさせます。


  また、同時代のソ連をよく知る選考委員の一人によれば、
  著者の描写は正確だという。
  初めての、それも国家体制の異なる国々で、
  見るもの聞くものすべてを、乾いた砂が水を吸うように書き取ったメモは
  詳細かつ膨大だったと思われます。


  しかし、本書は、少年の無垢な旅行記ではありません。
  40年の時空を経て、成熟した大人の視点を介した
  「人間発見」物語でもあるのです。
  その手法は見事というほかなく、「第8回梅棹賞」に決まりました。


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信濃毎日記事より)

ノモレ

ノモレ

(決選投票で受賞を争ったもうひとつの作品)