行くところが分かって安心したわ(川田くにゑ)

クリッピングから
朝日新聞2021年3月27日朝刊別刷be
それぞれの最終楽章
読者から③ 西山桂子さん(75)兵庫県姫路市
1週間前に「お迎え」の夢を見た


こんなふうに旅立たれる方もいるんだなぁ、
と心に深く残って、クリッピングしておきました。


  父が腎臓病を患い45歳の若さで亡くなった時、母は40歳。
  高校3年の私と一つ違いの妹、
  中学3年と中学1年の2人の弟が残され、
  10坪ほどの小さな洋品店を切り盛りして
  女手一つで育て上げてくれました。


  暮らし向きは質素でしたが経営は手堅く、
  父の借金を返した上に終(つい)のすみかのための土地を買い、
  阪神淡路大震災をきっかけに72歳で店を畳みました。


  母は信心深く、父の死後、
  お経を唱えるのを忘れたことはありません。
  仏壇の前に座布団も敷かず朝夕10分ほど唱えます。
  畳はそこだけ少しへこんでいました。
  (略)


  死の1週間ほど前のことです。
  ずっと布団の中でまどろんでいる状態でしたが、
  突然目を覚まし、「あぁ今、いい夢を見たよ」。
  「何千人もの人が黄金の着物を着て歩いているんや。
  その人たちがね、『あなたも早くいらっしゃいよ。待ってるからね』
  と言ってくれたよ……」
  「ああ、これで行くところが分かって安心したわ」と、
  心底うれしそうな、安堵(あんど)の表情を見せました。


  亡くなる日の朝のことです。
  「今から玄関の戸締まりをし、今日はどこへも行かないように。
  ここにいてほしい」と言いました。
  弟と2人、枕元に座っていると、
  母の目線がタンスの引き出しに向けられています。
  弟が「タンスに大事なものがあるんか」と聞くと、
  もう声が出せなくなっていた母がうなずきます。


  中には葬儀屋に届ける書類と死に装束、遺影が
  そろって入っていました。
  夕方、2人に手を握られて、
  穏やかに静かにこの世に別れを告げました。
  

  45歳で亡くなった父に見合うよう、
  遺影も母の45歳ごろのものでした。
  私も弟も思わず「うわぁ、やるねぇ」。
  ご近所の人たちも「おばあちゃん、若い!」。
  みんなで笑い合った、ほのぼのとした通夜になりました。
  (略)

                 (構成・畑川剛毅)


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