砂場を見ると、子どもは夜霧になっている(梅津時比古)

クリッピングから
毎日新聞2021年8月28日朝刊
「音のかなたへ」 梅津時比古


毎月第4土曜日は、
梅津時比古さんの音楽のような文章に引き込まれ、
幻想の中で過ごすひとときが楽しみだ。


  夜のガスパール


  (略)
  ラヴェルに《蛾》と題するピアノの小品がある。
  組曲《鏡》の第1曲。
  蛾の羽の鱗粉(りんぷん)が宙に舞っているような曲だ。
  ピアノの音が錯綜(さくそう)しているのに
  何も動いていないようにも聞こえる。
  現代のフランス語では蝶(ちょう)か蛾か判然としない。
  ラヴェルのピアノ組曲には《夜のガスパール》もある。
  (略)


  ピアノひとつでこの曲はまるでオーケストラのように、
  さまざまに楽器の音が思い浮かんでくる。
  弾くときは、ここはフルート、
  あそこはオーボエ、今度はコントラバスと、
  めくるめく音を追わなければ
  ラヴェルの表そうとした色が出ないだろう。
  事実、オーケストラへ編曲した版もある。
  (略)


  そのうち不思議なことに気づいた。
  初めから管弦楽によって多彩な色を示されると、
  聴いているこちらに何かが広がらないのである。
  それは何か? 
  おそらく、夜。


  奇麗な色にもかかわらず、
  色が見えすぎているのか、夜が広がらない。
  本来、夜は見えないから想像を広げ、
  世界の奥に入っていける。
  世界は想像と幻想のうちに認識してゆくものなのだろう。


  そんなことを思っているうちに、
  ベンチでうたた寝してしまっていた。
  目が覚めるといつの間にか夜霧が覆い、
  蛍光灯の周りだけ照らされて白く煙っている。
  蛾の鱗粉が舞っているように見えて、
  粒子をかき分けて近づくと、
  蛾は前と変わらずい止まっていた。
  砂場を見ると、子どもは夜霧になっている。

         (特別編集委員、第4土曜日掲載)


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ラヴェル:ピアノ協奏曲、鏡

ラヴェル:ピアノ協奏曲、鏡

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