浅田次郎オリジナルセレクション『悪党たちの懺悔録/松本清張傑作選』(新潮社、2009)

松本清張の小説が読みたくなった。
膨大な著作の森を散策するのに
有能な道案内人がいてくれるといいなと思った。
浅田次郎オリジナルセレクション
『悪党たちの懺悔録/松本清張傑作選』(新潮社、2009)を読む。



「巨匠の魅力を再発見ーー。」と銘打ったこのシリーズは
6人の作家がそれぞれ清張の作品を厳選している。
浅田次郎海堂尊原武史佐藤優宮部みゆき桐野夏生の6人だ。
清張作品と格闘し、セレクションするには
ただ者でない顔ぶれが必要だったと思わせる。


僕は、佐藤優オリジナルセレクション
『黒い手帖からのサイン』に続いて二冊目。
あとがき「人間を描く 浅田次郎」から引用する。
浅田が選んだ7作品のうちで、
もっとも印象深かった「黒地の絵」について書いた一節だ。


  「黒地の絵」は松本清張の作品集が
  さまざまの形で刊行されるたびに、
  必ずと言っていいほど選ばれる名品であるから、
  すでにお読みになられた読者も多いであろう。


  朝鮮戦争下の小倉、すなわち永久不戦を誓った日本の、
  最も戦場に近い場所が舞台というだけでも、
  のっけから興味をそそられる。


  むろん私は、この時代背景を知らない。
  陰惨な物語のヒントとなるような事件が、
  実際にあったかどうかも知らない。
  だがこの作品の持つ底力を考えれば、
  何から何まで作り話だとは思えないのである。


  だとすると、作者はこの小説を書くにあたって、
  相当の勇気をふるったのではなかろうか。
  一言一句に気遣い、世論を怖れて
  汲々と筆を進めるわれわれの世代からすると、
  まさに神を見るような思いである。
  清張作品のダイナミズムの源は、
  あらゆる譏(そし)りを怖れぬこの勇気にある。

                    (p.273)


この一編を読んだ後に編集部の註釈を読み返すと、
よくある定型文であるのにも関わらず、
浅田の指摘の意味がより重くなる。


  なお、作品中に今日の観点からみると
  差別的ととられかねない表現が散見しますが、
  作品自体のもつ文学性ならびに芸術性、
  また著者がすでに故人であるという事情に鑑み、
  原文通りとしました。(編集部)

                  (p.284)


(それぞれの作家がなぜその作品を選んだか、解説を併読すると味わい深い)


(このシリーズは既に文庫になっている)