クリッピングから
朝日新聞2023年1月28日朝刊 <読書欄>
『灰燼のなかから(上・下) 20世紀ヨーロッパ史の試み』
コンラート・H・ヤーラオシュ著
橋本伸也訳 (人文書院 各6050円)
評・藤原辰史 (京都大学准教授・食農思想史)
ヨーロッパ現代史総説というべき堂々たる構え。
2巻にびっしりと詰まった全30章合計800㌻の中に
弛緩(しかん)した文章は全くと言っていいほどない。
各章ほぼ24㌻に収められていて読みやすく、
輪読会にも最適だ。
茫洋(ぼうよう)な知識と思考の上澄み、
もしくは結晶というべき本書と格闘した長い時間は、
私にはかけがえのないものとなった。
(略)
米国で歴史学を学び世界を代表する歴史家となった著者は、
人生経験のゆえであろうか多角的な知のまなざしを持つ。
共産主義とファシズム双方を
「全体主義」に包摂する議論を退け、
他方で世界の西洋化を輝かしい前進の物語にもせず、
世界に暗黒をもたらした残忍な物語として
一色に塗りつぶすこともしない。
自由民主主義、共産主義、ファシズムの
おのおのの「近代性」がどう変転し、
人びとを魅惑したり失望させたりしたかを
バランスよく描いていく。
(略)
もちろん、読者は著者の歴史観を
そのまま受け取る必要はない。
戦後世界の飢餓、貧困、現代奴隷、環境破壊など
構造的暴力に関心のある私は、
戦後の欧米による世界の破壊も深刻で、
その「灰燼(かいじん)」から
世界の人々はまだ立ち上がれていないと考えており、
欧州の戦後史を著者ほど明るくは思い描けない。
むしろ本書の魅力は、見取り図が明快であるが
ゆえにそんな読者の疑義や異議が誘発されやすいこと。
その上で著者は「ではあなたにとっての近代は?」と
読者を歴史観の闘技場に手招きする。
懐が深い本である。
(略)
ヤーラオシュ単著の邦訳は本書が初めて。