信仰としてのジャーナリズム、アメリカフォビア(米国嫌悪)

池上彰さんが聞き手の名手であることを本書で再確認した。
エマニュエル・トッド池上彰(通訳:大野舞)
『問題はロシアより、むしろアメリカだ
ーー第三次世界大戦に突入した世界』(朝日新書、2023)を読む。



トッドの「まえがき」から引用する。


  池上さんとの対談は、
  一部掲載した「この戦争に勝者はいない」(AERA2023年2月27日号)を含め、
  オンラインで3日間、計8時間におよんだ。
  そのなかで、私が、何度か思わず口にした言葉がある。
  「こんなことを話すのは、きょうが初めてです。
  いったい私に何が起きているのでしょうか?」


  池上さんは対談のなかで、
  私に言葉を選ぶじゅうぶんな時間を与えてくれた。
  そして的確な質問を的確なタイミングで私に投げることで、
  私に深い充実感を与えてくれた。
  新しい思考が泉のように湧き出てくる感覚を覚えた。
  一流のジャーナリストとしてのその振る舞いに、
  私は深い畏敬の念を抱くことになった。

                     (p.8)


池上が引き出したトッドの言葉、概念で
僕の心にふたつ残った。
ひとつは「信仰、思想としてのジャーナリズム」。


  実は、ジャーナリストたちというのは、
  イデオローグ、思想家たちとはちょっと違うわけです。
  ジャーナリストという人たちのなかには、
  もちろん共産主義の人もいれば、リベラルな人もいれば、
  キリスト教系の人もいれば、全体主義がかった人も、
  さまざまな考え方の人たちがいるわけです。


  ただ、そういった人たちが、
  統一したひとつの「ジャーナリズム世界」みたいなものを作り上げて、
  そこでひとつの「信仰みたいなもの」が生まれて、
  それが思想のようになっていった。
  そんな感じのところがあると私は思っているんですね。


  要するに、共産主義社会主義などのようなそういった流れ、
  思想のひとつとして、大文字Jがつく「ジャーナリズム思想みたいなもの」が、
  私は存在していると思うんです。
  そして、そういった大文字のジャーナリズムという思想のなかでは、
  自由に対して非常に抽象的な考え方があったり、
  ちょっとエリート主義だったりとか。
  政治に対してもある種の信仰みたいなものもあったり、
  そしてロシアに対する敵対心もあったり、
  そういったものもそのジャーナリズム思想の、
  信仰のなかに含まれるんですね。


  この、ジャーナリズムを思想としてとらえるというテーマについては、
  実は、私もこれから重要な研究対象になってくるだろう
  と思っているところなんです。

                         (pp.42-43)


もうひとつは「アメリカフォビア(米国嫌悪)」だ。


  …私はむしろ、私の立場を
  「アメリカフォビア(米国嫌悪)」というふうに定義したいと思います。
  ロシアフォビア(ロシア嫌悪)ということが言われますけれども、
  それと同じ意味で、アメリカ嫌いというわけです。
  反米主義とは、またちょっと別なものです。


  どういうことか。
  私は、アメリカをひじょうに「怖い」と思うようになったんですね。
  確かに、この戦争を踏まえて過去のことを振り返ると、
  イラク戦争もしかりですけれども、
  ベトナム戦争やその後もいろんな戦争で多くの死者を出す戦争をしてきた国、
  アメリカという姿が見えてきます。

                            (pp.124-125)


    構成:AERA編集部・小長光哲郎
    図版作製:枝常暢子、岡山進矢