宮下奈都『羊と鋼の森』(文春文庫、2018)


静謐な文章だなと思った。
高校生のとき、ふとした偶然で調律師・板鳥(いたどり)さんに出会い、
同じ道をめざすことになった外村(とむら)くんの物語。
宮下奈都『羊と鋼の森』を読む。
(初出「別冊文藝春秋」2013-15/単行本2015/文庫2018)


羊と鋼の森 (文春文庫)

羊と鋼の森 (文春文庫)


ピアノの中にある森。
外村が育った故郷・北海道の森。
ふたつの森が交錯しながら、物語が進む。
読み進むうちに、不思議な題名の意味が分かるようになる。


東京奇譚集 (新潮文庫)

東京奇譚集 (新潮文庫)


並行して再読している
村上春樹東京奇譚集』冒頭の作品「偶然の旅人」にも
ゲイで調律師の男が登場する。
その男が読んでいた本がチャールズ・ディケンズ『荒涼館』。
この本がきっかけである出会いが始まり、物語が進む。


The Early Stories of Truman Capote (Penguin Modern Classics)

The Early Stories of Truman Capote (Penguin Modern Classics)


さらにもう一冊並行して読んでいる
Truman Capote "The Early Stories"。
Hilton AlsがForward(序文)で
Capoteのスタイルを比較している作品が
Dickensの"Bleak House(邦題:荒涼館)"。
Capoteはゲイであったことでも知られる。


水曜日は狐の書評 ―日刊ゲンダイ匿名コラム (ちくま文庫)

水曜日は狐の書評 ―日刊ゲンダイ匿名コラム (ちくま文庫)


昨夜は昨夜で、
狐の『水曜日は狐の書評』を読み返していたら、
沓掛良彦『文酒閑話』(平凡社)の書評でこんな一節に目が止まった。


   「学者の酒・文人の酒」という一文には、
   沓掛良彦の恩師である言語学者、スラブ学者・木村彰一の言葉が、
   著者の思いのたけを込めて語られている。
   「学問はね、酒で磨かないと光が出てこないですからね」。


文酒閑話

文酒閑話


はて、「木村彰一」という名前に
なんだか最近出会った記憶がある。
スラブ学者を頼りに記憶を辿ると、
先日「日本の古本屋」で買い求めた
「博友社ロシア語辞典」を編集したのが木村彰一先生だった!
きっとこの辞書は酒でたっぷり磨かれて
出版から43年経ったいまでも輝いているんだな。


博友社ロシア語辞典

博友社ロシア語辞典


村上春樹は、
調律師にこんな言葉を言わせている。


   偶然の一致というのは、
   ひょっとして実は
   とてもありふれた現象なんじゃないだろうかって。
   でもその大半は僕らの目にとまることなく、
   そのまま見過ごされてしまいます。


   まるで真っ昼間に打ち上げられた花火のように、
   かすかに音はするんだけど、空を見上げても何も見えません。
   しかしもし僕らの方に強く求める気持ちがあれば、
   それはたぶん僕らの視界の中に、
   ひとつのメッセージとして浮かび上がってくるんです。
   その図形や意味合いが鮮やかに読み取れるようになる。


   そして僕らはそういうものを目にして、
   『ああ、こんなことも起こるんだ。不思議だなあ』と驚いたりします。
   本当はぜんぜん不思議なことでもないにもかかわらず。
   そういう気がしてならないんです。


その発言に対して本人役で作品に登場する村上は、
結論を留保しつつも
偶然のふりをする神様がいてもいいという考えに傾く。
僕も村上のように考える方が楽しいな。


羊と鋼の森』から偶然に導かれるまま
ずいぶん遠くまで来てしまった。
もし村上が「偶然の旅人」で書いていたように
ジャズの神様、ゲイの神様がいるのなら、
本の神様もきっとどこかにいるに違いない。


本作品は2016年度本屋大賞受賞作。
これまでの候補作品リストを眺めると、
書店員さんたちの本を選ぶ目はとても参考になる。
宮下奈都の他の作品も読んでみたい。


荒涼館(一) (岩波文庫)

荒涼館(一) (岩波文庫)

wikipedia:木村彰一
(文中敬称略)