2017年、神保町で3,240円(税込)で見つけ、購入。
(新潮選書、2018)を読む。
高畠は『資本論』を初めて和訳しただけなく、
生涯で三度、翻訳した。
その高畠をなぜ佐藤が取り上げたのか。
「まえがき」から引用する。
日本でも、国家機能を強化して再分配を確保し、
格差を是正しようとする言説が影響力を持ち始めている。
軌道修正をしなくてはならない。
そのときに当事者が自覚を欠いたまま、
日本の国家と社会の構造がソフトファシズムに転換していく危険がある。
この危険を避けるためには、
土着のファシストである高畠素之の亡霊を、今、ここで呼び出し、
国家社会主義という危険な思想に対する耐性をつけておく必要がある。
(pp.15-16)
佐藤と高畠の出会いが1979年4月、
筆者が同志社大学神学部一回生のときまで遡ることを本書で知った。
「あとがき」から引用する。
本書を書いている過程で、
私は自伝を書いているのかと勘違いすることが何度かあった。
まず高畠が新聞紙条例違反で禁錮二ヵ月の実刑判決を言い渡され、
下獄したときに英訳『資本論』に触れたことだ。
私の場合、勾留期間は一年五ヵ月で、
高畠よりは読書時間を多く得ることができた。
(略)
森戸辰男が新聞紙法違反(朝憲紊乱罪)により起訴され
有罪となって下獄した事件に関して、
大学教授であっても国法は平等に適用されるべきである
という論陣を張った。
国立大学(東京帝国大学)という
国家機関の中にいる進歩的知識人に対しては、高畠はきわめて厳しい。
私も、言説だけは威勢がいいが、
本質において臆病な大学人が嫌いだ。
政治活動は、最大限の覚悟をもって行うべきなのである。
この点で、私は高畠の影響を受けている。
(略)
人間が原罪を抱えているという事実と、悪のリアリティを
本書を通じて私は後輩の神学生を含むすべての読者に
伝えたいと思っているのだ。
その意味で本書『高畠素之の亡霊』は、応用神学の書でもある。
(略)
(pp.457-459)
本書で多数引用された高畠の言説は
確かに妖しい魅力に溢れている。
日本国家のソフトファシズム化の危険を察知するために
重要な一冊となるだろう。
初出:『新潮』2008年1月号〜2010年2月号
単行本化に際して一部加筆修正・再編集