人間的な不透明さを簡単に手放してはならない(東畑開人)

クリッピングから
朝日新聞2020年12月17日朝刊
社会季評 忘年会中止と官僚の退職
透明になって、失うもの
東畑開人(とうはた・かいと)
臨床心理士十文字学園女子大学准教授)


社会が要請する透明さと
人間が必要とする不透明さ。
その対比によるアプローチに興味を持った。


  (略)
  それは個というものが本質的に不透明なもので、
  そして個と個が接触すると不透明なことが起こるからだと思う。
  そこに危険もあるし、人間の素晴らしさもあったはずだ。


  それなのに忘年会で個の顔を見知る機会が失われ、
  組織で個の背中を見る可能性が失われる。
  それは同時に、忘年会を支えていたお店や街を失い、
  組織を支えていた文化を失うことを意味している。
  社会が透明になるとはそういうことだ。
  そして、一度透明になると、不透明さは簡単には回復できない。


  もちろん社会の公正さと安全のために、
  手続き主義の透明さを丸ごと否定するわけにはいかない。
  とはいえ、手続きと手続きの隙間に残されていた
  人間的な不透明さを簡単に手放してはならない、と私は思う。
  それこそが職場にせよ、学校にせよ、
  人と人とが一緒に居ることを可能にしていた場所と思うからだ。
  (略)


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人間が必要とする不透明さについて
もう少し突っ込んだ話を東畑から聴いてみたいと思った。