クリッピングから
讀賣新聞2021年2月1日朝刊
第72回読売文学賞/研究・翻訳賞
「源氏物語」(全3巻)
訳・角田光代(かくた・みつよ)
- 作者:角田光代
- 発売日: 2020/02/27
- メディア: 単行本
原文に近いスピード感再現
千年の古典が、角田光代氏の筆の力で
現代小説の読みやすさを獲得した。
かといって、するりと読む抜けるのとは違う。
読者はしかるべきところで立ち止まる。
たとえば「夕顔」の導入部。
謎の美女が住まう館の板塀に、蔓草(つるくさ)が茂り、
「白い花がひとつ、笑うように咲いている」。
卓抜な比喩に、原文を確かめてみたくなった。
<白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉ひらけたる。>
こうなると、他の現代語訳が気になる。
まず、谷崎潤一郎訳を参照した。
<白い花が自分ひとり得意顔に咲いています。>
最近の林望訳では以下の通り。
<見れば真っ白な花が、一人にっこりと
微笑(ほほえ)むように咲いている。>
他にも幾つか目を通したが、
古典に通じた訳者は、つい説明的になりがちだ。
角田訳はいったん飲み込んで、
発酵させてから自身の言葉に落とし込む。
敷衍(ふえん)しないため表現は簡潔となり、
むしろ原文に近いスピード感が再現されている。
角田訳の宇治十帖(うじじゅうじょう)を
出色の出来と評した選者がいた。
たしかに「浮舟」の異様な迫力には胸が締め付けられた。
文学の物の怪(け)が、作者と訳者、そして読者に憑依(ひょうい)する。
希有(けう)な読書体験を約束してくれる新訳だ。
(荻野アンナ)
■選考委員(50音順)
荻野アンナ(作家、仏文学者)、川上弘美(作家)、川村湊(文芸評論家)、
高橋睦郎(詩人)、辻原登(作家)、沼野充義(文芸評論家、ロシア・東欧文学者)、
野田秀樹(劇作家)、松浦寿輝(詩人、作家、批評家)、若島正(英米文学者)、
渡辺保(演劇評論家)
2020年度小説賞は該当作がなかった。
- 作者:荻野 アンナ
- メディア: 単行本
先日読み終えた島田雅彦『君が異端だった頃』の
第71回読売文学賞選評を同選考委員の辻原登が書いている。
以下、「読売新聞デジタル版」から引用する。
圧倒的な共感のうちに読み終えた。
“島田雅彦”と名付けられたトリックスターたる存在
「君」の幼少年時代に遡って(両親の出会いまで含む)、
多摩丘陵の森をさまよい、「ここは何処(どこ)?」と
山鳩(やまばと)のように鳴(泣)いていた「君」は、
やがて森から飛び立って、
賑(にぎ)やかでいかがわしかった一九七〇年~八〇年代の荒野を、
才智(さいち)溢(あふ)るる小説志願の騎士となって遍歴する。
「風車の冒険」もあれば「モンテシーノスの洞窟の夢」もある。
勲(いさおし)と敗北、失意と得意を縄のように糾(あざな)って、
「君」の息子の誕生(七月)と中上健次の死(八月)が重なった
一九九二年で物語は終わる。
この作品の読み応えは何処から来るのか?
それは、「自分とは何者か」「私はどこから来てどこへ行くのか」
というモラリストとしての強い探索の筋が一本通っているからだ。
そういう意味ではスタンダールの『アンリ・ブリュラールの生涯』を
思い出してもいいかもしれない。
二人称「君」による語り、
というより呼び掛けが著しい効果を挙げて、
不思議な俯瞰(ふかん)感と立体感を読者に与える。
「君」が疲れて元気が無くなると、
「君は私で、私が君だ」と励まし、息を吹き込む。
その呼吸も見事で、物語のラストのフレーズもこれだ。
深い意味でこれは完璧な小説である。
(辻原登)
アンリ・ブリュラールの生涯 上 (岩波文庫 赤 526-9)
- 作者:スタンダール
- 発売日: 1974/07/16
- メディア: 文庫
アンリ・ブリュラールの生涯 下 (岩波文庫 赤 527-0)
- 作者:スタンダール
- 発売日: 1974/08/16
- メディア: 文庫