小池真理子が朝日新聞土曜別刷beに連載しているエッセイ
「月夜の森の梟(ふくろう)」でこの作品の存在を知った。
藤田宜永『愛さずにはいられない』
(集英社、2003/新潮文庫、2021)を読む。
藤田と37年間暮らした、
作家であり妻の小池が巻末に解説を寄せている。
引用する。
不器用な情熱の記録
(略)
終末期、自宅で死にたいという彼と共に、ずっと家で過ごした。
状態のいい時は、様々な小説の話、
死を受容していく自分自身の心の風景について語り続けていた。
ふと、母親のことを口にしたのは、死の一週間ほど前だったと思う。
こうなっても、おふくろに対する気持ちは
何も変わらないよ、と彼は言った。
確かにもう、どうでもいいことだし、
心底、そう思っているよ、と。
でも、一つだけ残念だったことがある……として、
彼はかつて、一生に一度と考え、
渾身(こんしん)の想いで書いた自伝的小説『愛さずにはいられない』が、
ほとんど読者や批評家の反応を得られずに終わったことを短い言葉で嘆いた。
私は何も言わずに聞いていただけだったが、
彼の死後、その一言が幾度も甦(よみがえ)った。
ふつうは聞き流し、忘れてしまうようなことだったかもしれない。
だが私は彼同様、作家である。
死に瀕した作家の嘆きを忘れることはできなかった。
今回、新潮社で二次文庫化することができたのは、
故人にとって望外の幸せだったと思う。
もちろん、私にとっても。
(略)
二〇二一年二月
藤田宜永の一周忌が過ぎた日に
(pp.776-779)
藤田は単行本刊行時、「あとがき」でこう書いている。
本書は僕の高校時代のお話、
人生の中で一番壊れていた時代を書いた小説です。
(略)
連載中、ふと現代の子供たちのことを
書いているような錯覚に陥りました。
時代が進むにつれ、
僕のような心の空洞を持った子供たちが増えたからでしょう。
いずれにせよ、この小説は一生で一度しか書かないし、
書けないものだと思います。
二〇〇三年四月吉日
藤田宜永
(pp.766-767)
- アーティスト:レイ・チャールズ
- メディア: LP Record