彼の妻だった女優の顔を、記憶に甦らすことができない(蓮實重彦)

クリッピングから
筑摩書房PR誌「ちくま」2022年5月号(No.614)

<些事にこだわり> 7
アカデミー賞という田舎者たちの年中行事に
つき合うことは、いい加減にやめようではないか

蓮實重彦
(はすみ しげひこ 文芸評論家/映画評論家)



(表紙絵 ヒグチユウコ/表紙・本文デザイン 名久井直子


  実際、濱口監督の問題の作品
  (引用者注『ドライブ・マイ・カー』)については、
  あまり高い評価を差し控えている。
  とはいえ、それは、この作品の原作が、
  「結婚詐欺師的」と呼んで心から軽蔑している某作家の
  複数の短編であることとは一切無縁の、
  もっぱら映画的な不備によるものだ。


  妻との不意の別れをにわかには消化しきれずにいる
  俳優兼演出家の苦悩を描いていながら、
  問題の妻を演じている女優に対する演出がいかにも中途半端で、
  それにふさわしい映画的な存在感で
  彼女が画面を引きしめることができているとは
  とても思われなかったからだ。


  亡き妻の録音された声を聞きながら、
  主役の西島秀俊があれこれ思うという重要なシークエンスは素晴らしい。
  ここの場面にとどまらず、
  西島秀俊はみずからが途方もない役者であることを、
  画面ごとに証明してみせている。


  だが、そのとき、見ているものは、彼の妻だった女優の顔を、
  ありありと記憶に甦らすことができないのである。
  あれこれのスキャンダルから、
  このところ語られることが控えられているとはいえ、
  女優という点でなら、『寝ても覚めても』の唐田えりかの方が、
  遙かに鮮明菜人物像で画面を彩っていたと思う。

                        (p.4)





原作者・村上春樹に対する
蓮實の「結婚詐欺師的」という評価は僕には意味不明だが、
妻を演じた女優に関する以下の文章には深くうなずいた。


  だが、そのとき、見ているものは、彼の妻だった女優の顔を、
  ありありと記憶に甦らすことができないのである。