ヤマザキマリ『壁とともに生きるーわたしと「安部公房」』(NHK出版新書、2022)

Eテレ「100分de名著/安部公房砂の女』テキストと
(解説:ヤマザキマリ)と併読した。
ヤマザキマリ『壁とともに生きるーわたしと「安部公房」』
NHK出版新書、2022)。


(表紙イラスト:ヤマザキマリ


「プロローグ 壁とともに生きる」から引用する。


  私は十七歳で単身イタリアに渡り、
  フィレンツェのアカデミアという美術学校に留学した。
  その頃の私は、異郷の地で画家を目指しながらも極度の困窮状態に陥り、
  この世のものとも思えぬ不条理と向き合う日々を送っていた。


  文字通り「飢餓」状態の只中で、お腹が空いても食べる物がない。
  支払うお金もないから電気、ガス、水道のインフラは止められ、
  電話も通じない。
  (略)


  当時フィレンツェには
  「ガレリア・ウプパ」という画廊と出版社を兼ねた、
  地元の芸術家や文芸人の集まるサロンのような場所があって、
  私と詩人(引用者注:当時ヤマザキが同棲していた
  イタリア人の恋人)は足繁くそこに通っていた。


  ウプパには私たちよりはるかに年上で、
  それまでの人生においてあらゆる不条理を経験し、
  現在進行形で貧困という辛酸を舐めつつも、
  諦めずに創作を続けている画家や作家や思想家たちが
  集っていた。
  (略)


  日本から来た年端もゆかない小娘に、
  文学や芸術について教えてやらなくては、と思ったのだろう。
  この何もわかっていない娘っ子に、
  さて何を読ませてやろうかと考えて、
  サロンの主宰者だったイタリア人の老作家が書棚から持ってきた本が、
  安部公房の『砂の女』(1962年)のイタリア語版だった。


  「これを読みなさい。今の君はこういう文学に触れておくべきだ」
  それは一九七〇年代に、まさに須賀敦子さんがイタリア語に翻訳した
  『砂の女』の古本だった。
  その頃まだイタリア語の読書に慣れていなかった私は、
  辞書と首っ引きになってページをめくり、
  一気に安部公房の世界観に引きずり込まれていった。 
  (略)
 
                           (pp.4-7)


ヤマザキはイタリアでの苦闘時代の自分や
コロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻の今を生きる私たちを
安部公房作品と対比し、読み解くことで論を進めていく。


全体の構成は以下の通り。


  第一章 「自由」の壁  『砂の女
  第二章 「世間」の壁  『壁』
  第三章 「革命」の壁  『飢餓同盟』
  第四章 「生存」の壁  『けものたちは故郷をめざす』
  第五章 「他人」の壁  『他人の顔』
  第六章 「国家」の壁  『方舟さくら丸』