クリッピングから
朝日新聞2022年12月10日朝刊別刷be
山田洋次「夢をつくる」11
「おかみさん」だった高羽さん
高羽さん(哲夫<たかは てつお> カメラマン、
1926-1995/引用者注)とは
ロケハンで日本全国を歩きました。
1980年代から地方都市の過疎化が始まって、
商店街がシャッター通り化することに
心を痛めながらの旅でした。
ある田舎でのこと、
古いお寺の白壁に夕日がさしていて、小川にかかる橋を
子どもをおぶったおばあさんが歩いている光景を見た僕が
「いいな、懐かしい景色だ」とつぶやいたら、
彼が「山田さんが子どもの頃見たのは、
石畳の路(みち)をカツカツ走る馬車や
地平線まで広がる一望千里の
コーリャン畑の光景でしょう」と言った。
そう言われればそのとおりで
なぜ懐かしいのだろうと首をひねっていたら、
彼いわく「山田さんにおける故郷は、
あなたが人に聞いたり、本を読んだり、
映画館で見たりした日本のふるさとなんだ、
つまり教養としてあなたの脳裏に描かれた風景なのだよ」。
(略)
彼は藤沢の公営団地に愛妻と二人で暮らしていた。
撮影所のある大船へは東海道線でひと駅、
僕は世田谷だったから大船は遠くて
よく彼の家に泊めてもらいました。
2DKの室内の小さな風呂に交代で入り、
布団を並べて寝ながら明日の撮影の相談をしていると、
ふすまの向こうで奥さんが夜なべをしている音がする。
今思えば、充実した日々でした。