必要なのは才能より忍耐力だよ(橋本忍)

クリッピングから
朝日新聞2023年6月10日朝刊別刷be
山田洋次「夢をつくる」18
脚本の師・橋本忍さんとの日々



(左から野村芳太郎監督、脚本の橋本忍山田洋次さん=シネマ旬報社提供)


  監督になるにはシナリオが書けないとダメだ、
  シナリオが書けない監督は地獄の苦しみを味わうーー。
  助監督時代、先輩に言われた言葉です。
  (略)


  毎朝10時、小田急世田谷代田駅から15分ほどの
  橋本(忍)さん宅へうかがう。
  「おはようございます」。
  2階の座敷にあがり、
  橋本さんと向かい合いに座って仕事が始まる。


  大きな紙に構成の図面を書いて検討する。
  何日もかけて構成が決まると「箱書き」に移る。
  ケント用紙に升目を書いて、その升目の一つ一つに
  シーンの内容とポイントになるセリフを書く。
  何度も書いては消し、書いては消しを繰り返す。


  2週間ほどかけて箱書きがだいたい決まると、執筆に移る。
  箱のワンシーンを僕が原稿用紙に書いて
  師(橋本さんのこと)に渡す。
  師が黙って原稿用紙を突き返すときは、
  もう一度他のやり方で書いてみろということだから、懸命にまた書く。
  師が受け取って「次に進んで」と言うと、
  僕は次の箱に挑戦する。


  師も何度も何度も書き直している。
  無駄話は一切しない。
  昼は店屋物のそばをいただき、夕方6時過ぎると、
  橋本さんが「洋ちゃん、そろそろ置こうか」と言う。
  「置く」というのは職人の言葉で道具を置くということ、つまり終了。


  奥さんの手作りの夕食をいただきながら雑談。
  昼間黙っていた師が雄弁になり、
  「羅生門」はじめ数々の黒沢作品の思い出話を聞くには、
  僕にはたまらなく楽しい時間でした。
  夜8時、「お疲れさまでした」と師の家を辞して、
  星空を仰ぎながら家路につく。


  このような毎日が続くある日、僕は師に
  「シナリオを書くのは何か工場で働く労働者のような気分です」
  と言うと、師は「いや、お百姓に近いな」。
  毎日畑に出て作物の成長を確かめ、
  水をやり肥やしを与え雑草を抜きながら実りを待つ。
  「辛抱が大事なんだ。必要なのは才能より忍耐力だよ」。
  そういえば師の名前は「忍」です。
  橋本さんほどの作家がこんなに苦しみ抜いていることも驚きでした。
  (略)


  5年前、橋本さんは100歳で亡くなった。
  映画界で僕のことを「洋ちゃん」と呼んでくれた最後の人でした。

                        (聞き手・林るみ)