クリッピングから
毎日新聞2023年9月30日朝刊
「土記」伊藤智永
三たびウクライナ停戦論
分かりやすい軍事解説で引っ張りだこの
小泉悠・東京大学先端科学技術研究センター講師が、
月刊誌「世界」10月号に
「ウクライナ戦争をめぐる『が』について」
という文章を寄稿している。
この戦争に関する多くの論考が
「ロシアの侵略は許されないが」を枕ことばに、
ウクライナ国家の成り立ちや
歴史の複雑さを強調しすぎるのはおかしい。
「が」を取って、「侵略は絶対的に悪い」という大前提で
議論せよとの指摘である。
「安全保障屋」を自称し、
複雑さへの知的誠実さより、
単純と批判されても戦争の抑止を優先する方が重要だという。
でも、その安全保障論で戦争は防げなかった。
止められもしない。
語られることは戦況の後付けが多く、
「安全保障って何」との疑問が拭えない。
開戦以来、脚光を浴びている
防衛省シンクタンクの防衛研究所幹部たちにも、
同じ飽きたらなさを覚える。
この欄や他の記事で
「ゼレンスキー氏は英雄か」
「ウクライナ即時停戦論」を何度か書いた。
普段の何倍も抗議が届く。
大半が「ロシア=悪、ウクライナ=善」の二元論に立つ糾弾である。
残念ながら、得るものは乏しい。
何が、なぜ、どう起きたのか。
事実と人間の複雑さに粘り強く向き合わないと、
止められる時が来てもうまくいかないだろう。
7月に松里公孝著
「ウクライナ動乱ーーソ連解体から露ウ戦争まで」が出た。
複雑さと正面から格闘し、この戦争の来歴と行方を
解き明かそうとした本である。
新書で500㌻超。
あとがきに「非常識な分量」とあるが、無理もない。
この戦争を米露の地政学的対立とはみなさず、
ソ連解体(1991年)の社会大変動がずっと続いていて、
その最悪な一例と位置付ける。
旧ソ連圏からの分離紛争を抱える「国家」群(未承認を含む)を
全て参照するから、目配りは広大だ。
著者はロシア帝国史や旧ソ連圏現代政治が専門の
東大大学院法学政治学研究科教授。
肩書はお堅い印象だが、ウクライナで動乱があれば現地へ飛び、
砲弾や狙撃の危険をかいくぐり、
政治家や活動家にインタビューしてきた。
ジャーナリスト顔負けの行動力は、
本の厚さを苦にさせない。
プーチン大統領の野望とは何だったのか。
ゼレンスキー大統領とは何者か。
ウクライナの内側から考え抜いた著者の結論は苦い。
両国の関係は切れない。
紛争解決、恒久平和が戦争を誘発する。
一時しのぎの停戦を、ほころびをつくろいながら
何十年でも持たせるしかない、と。