宮下奈都『田舎の紳士服店のモデルの妻』(文藝春秋、2010)


心にゆっくり沁みてくるような文体がいい。
風変わりな題名の小説だ。
宮下奈都『田舎の紳士服店のモデルの妻』
文藝春秋、2010)を読む。


田舎の紳士服店のモデルの妻

田舎の紳士服店のモデルの妻


本人がこの作品について語ったエッセイ
まぼろしルトガー・ハウアー」から引用してみる。


   とにかく一度、
   主婦の話を書かなくてはならないと思った。
   (略)


   平凡な普通の主婦の生活に、
   そうそう山場が訪れるわけはない。
   それでも、彼女を主人公に据えた小説は
   おもしろくなくてはならない。
   (略)


   気持ちとしては、
   「私が書かなくて誰が書く」くらいの勢いだったけれど、
   最後に主人公がどこへたどりつくのか、
   なかなか見えてこなかった。
   書いていて必死だった。


   私の書く小説をいつも読んでくれていた夫が、
   この連載に限って、途中で読むのをやめた。
   梨々子(りりこ)は私ではないし、
   達郎(たつろう)は夫ではない。
   それでも身につまされることがあったのだろうか。


      (宮下奈都『はじめからその話をすればよかった』
       実業之日本社文庫、2016、pp.82-83)



主人公梨々子の夫達郎はあるときうつ病に罹り、
務めていた東京の会社を退職。
郷里で叔父が経営する会社に再就職する。
梨々子は不本意なまま、ふたりの男の子
(下の子は発育障害の疑いがある)、うつ病の夫と
都会を離れた町で暮らすことを余儀なくされる。



物語の最後で記憶に残る一節に出会った。
梨々子の言葉だ。


   眠れぬ夜に考えてみたのだ。
   火事になったら何を持って逃げるか。
   (略)


   出た結論は「手ぶら」だ。
   家族を促し、何も持たずに逃げる。
   (略)


   持ち時間が尽きるまで手ぶらで
   せっせと暇をつぶして過ごすのだ。


   目的のない編み物をして、
   いつまで経ってもどこを編んでいるのか
   わからないことにため息をつき、
   目がほつれ、目をとばし、それでも編み続けて、
   いつしかいびつな何かが編み上がる。


   あるいは編み上がらぬまま
   編み棒を置くことになるのかもしれない。
   それでもただ手を動かして、
   暇つぶしを、ひたすらに。
                (本書 p.249)


「手ぶら」か。いいなぁ。
いざとなったら、大切なものなど、
そんなにたくさんある訳じゃない。
手ぶらで、暇つぶしを、ひたすらに。
そうありたいなぁ。


田舎の紳士服店のモデルの妻 (文春文庫)

田舎の紳士服店のモデルの妻 (文春文庫)

(文庫も出ています)
wikipedia:宮下奈都