では若い人に席を譲ろう(池澤夏樹)

クリッピングから
朝日新聞2019年9月4日朝刊
池澤夏樹 終わりと始まり
身に染みる衰え 老いては若きに席を譲ろう


  まずは個人的な話。
  自分が老いたと思う。それが日々実感される。
  身体能力が少しずつ失われる。
  基礎代謝が減るとはどういうことか。
  食物として入ってくるエネルギーを活動に変える機能が低減する。
  身体の方がもうそんなに働くなと言っているかのよう。
  (略)


  駅の階段を下りる時は一歩ずつ決意して踏み出す、
  歩道のわずかな起伏に躓(つまず)きかねない。
  長く坐(すわ)っていた後で立つとふらつく。
  万事ゆっくり。万事慎重。つまり愚図(ぐず)。
  (略)


  身体能力が足りないからエネルギーを節約する。
  つまりすべてにおいて横着になる。
  すぐにしなくても済みそうなことはさぼる。
  身辺が散らかっていわゆる汚部屋に近づく。
  不義理が増える。メールの返信が遅れる。
  みなさんごめんなさい、と言いながらも手が動かない。
  (略)


  知的好奇心が衰えた。
  新しいものに飛びつかなくなった。
  旅に出る時、昔ならば事前にずいぶん予習をしたのだが、
  最近は着いてからインターネットに頼る。
  ものの見かたが浅くなっていないか。


  ぼく個人のことはどうでもいい。
  愚痴ないし繰り言と聞き流していただいて結構。
  しかし社会の高齢化というのは
  つまりぼくのような老人がどんどん増えるということである。
  申し遅れたがぼくは今は七十四歳と二か月。
  来年は後期高齢者。その後は晩期高齢者で、やがて末期高齢者。
  (略)


  社会の平均年齢が年々上がる。
  若い世代を準備しなかったのだから当然である。
  我々は商業資本とテクノロジーが提供する
  目の前の悦楽にうかうかと身を任せ、
  出産・育児・教育という投資を怠ってきた。
  国の無策は今さら言うまでもない。


  と書きながら、悲憤慷慨(ひふんこうがい)でもない。
  いずれ退場する身とは承知している。
  では若い人に席を譲ろう。
  年下の諸君、幸運を祈る。


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池澤さんのコラムを読みながら、
ここは同じだな、ここはちょっと違うな、と反応している自分がいる。
「若い人に席を譲る」とはどういうことか。
仕事の役職ならとっくの昔に譲っている。
他に譲るものがあるとしたらいったい何だろう、
と考えている自分がいる。
池澤さんは僕より10歳ほど年上になる。


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池澤さんが蓄積してきた知の技術を惜しげもなく開陳した一冊(評論家・副島隆彦さんが自身の「老い」について語っている)