第一作を読んだら案外面白かったので続編を借りてきた。
久住昌之原作/谷口ジロー作画『孤独のグルメ2』
(扶桑社、2015)を読む。
平松洋子さんが巻末に
素敵な解説「上等な孤独について」を寄せている。
一部引用する。
主人公ゴローさんの言葉を引き、
平松さんはこう書いている。
「俺は並んで
食べるのが嫌い
というより
食べている時
後ろで誰かが待っているという
状態が嫌なんだ」
孤独のグルメの面目躍如である。
好きなものを、好きなときに、
好きなように味わうために大事なのはただひとつ、
何にも縛られないこと。
ひっそりと気配を消すのは、誰にもじゃまされないように。
だからゴローさんは、食べるときは独りでなくてはならないのだ。
なんと上等な孤独だろうか。
(pp.138-139)
1994年に登場以来、
『孤独のグルメ』がロングセラーとなって絶大な支持を集め続けるのは、
その上等な孤独を愛する人々がいかに多いかという証左でもある。
声高に語ることが苦手で、
お客の立場をこれ見よがしに持ち出したりせず、
驚いたり発見したり、ときには戸惑いや後悔さえ調味料にして、
なんでもない野菜炒めを一期一会のひと皿に仕立ててしまう。
それをこそ、ほんとうの贅沢というのではないかしら。
自身の対話を思いのままにふくらませ、内なる王国を治める心持ち。
ゴローさんの一挙手一投足には、だからぶっちぎりの自由がある。
ひそやかな佇まいを好む原作者と漫画家でありながら、
『孤独のグルメ』が世間に与えた影響ははかりしれないほど大きい。
(p.139)
足の向くまま気の趣くまま、
好きなものを、好きなときに、好きなように食べる。
ただそれだけなのに、天下御免の上等な孤独がそこはかとなく漂い、
食べることにまつわる人間のおかしみが滲む。
誰の胸のなかにもひとり、ゴローさんは棲んでいる。
「三ちゃん」(引用者注:平松さんの地元の路地裏にあるラーメン屋)で
半炒飯と餃子と瓶ビールを相手にご機嫌だったおじいさん、楽しそうだったな。
あのおじいさんもまた、ゴローさんだったんだなと思う。
(p.141)
平松さんの文章を読んで、
ゴローさんの愛する「上等な孤独」がすんなり腹落ちしたように思えた。
自分の中に棲むゴローさんと
これからもいい距離で付き合っていけるといいナ。