矢野久美子『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』(みすず書房、2002)

仲正昌樹『悪と全体主義ーハンナ・アーレントから考える』
NHK出版新書、2018)を読み、アーレントに興味を持った。
(2017年9月放送「100分de名著」テキストに加筆・再構成)


仲正の著書で弾みがつき、
矢野久美子『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』
みすず書房、2002)を連読した。


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(僕が読んだのは2002年の初版)

(2014年の新装版。アーレントの写真が変わりました)


表4の紹介文を引用する。


  「わたしがつねに念頭においている目的意識とは、
  アーレントの言葉のありか、<政治的思考>の現場を、
  いかに精密に、しかも息づかいを見失うことなく
  跡づけることができるのかという一点である」


  『全体主義の起原』や『人間の条件』をはじめ、
  20世紀を代表する政治哲学者ハンナ・アーレントへの注目は、
  ますます高まってきている.
  しかし、彼女独特の鍵概念である《現われ》や《あいだ》は、
  伝統の崩壊という認識からはじめられた彼女の政治的思考と、
  どのように結びつくのか.
  また亡命ユダヤ人であるアーレントは、
  なぜ論争を生んだ『イェルサレムアイヒマン』を書いたのだろうか.


  本書は、ヤング=ブルーエルのアーレント伝や
  膨大なエッセイ・書簡に分け入りながら、
  「アーレントとは何者か」を真摯に問いかけていった成果である.
  亡命知識人アーレント/政治と《あいだ》/アイヒマン論争と《始まり》/
 「木の葉」の<身ぶり>の4章.
  小著ながらみごとな作品が、ここに誕生した.


矢野の「あとがき」から引用する。


  本書は、二〇〇一年三月に東京外国語大学に提出した
  同タイトルの博士学位請求論文
  『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所』に
  加筆・削除・訂正をおこなったものである。
  (略)


  もう十五年ほど前になるだろうか。
  留学先の街で、当時ドイツ語訳が出たばかりの
  エリザベス・ヤング=ブルーエルの伝記を手に入れて、ただ夢中で読んだ。
  それから半年ばかり後、今度は古文書館で、
  まだ未公刊だったアーレントの書簡に直接ふれることができた。
  そのときも夢中だった。


  けれども、アーレントを研究テーマとして選ぶ勇気はなかった。
  それが、それから後のいくつかの出会いによって少しずつ何かが始まり、
  自分がアーレントのテクストから感じとったことを書きとめ、
  それを仲間に読んでもらう機会を与えられた。
  だからこの本はわたしだけの仕事ではない。


  しかし、今はなによりも、本書をつうじて
  アーレントの言葉に直接ふれたいと思う方がひとりでも出てきてくださったら、
  それが一番うれしい。

                        (pp.159-161)



姿勢は謙虚だが、本書は学者として「攻めの書」である。
多くのアーレント研究者たち、伝記を書いたヤング=ブルーエルが
「常識」と考えた結論を書き換える挑戦をしている。
矢野、仲正の著書を道標とし、
アーレントの原典に僕も少しずつ分け入っていきたい。


(最初に読んだ矢野の著作)
ハンナ・アーレント伝

ハンナ・アーレント伝