クリッピングから
藤原書店PR誌「機」2023年10月号(No.379)
「出版随想」
▼A氏の訃報が先日届いた。
A氏とは、三十有余年前、小社出発前からの附き合いになる。
A氏は、拙と齢同年で、七〇年代後半に渡仏し、
苦学の後に、仏ボルドー大学教授の職を得た。
出会いは、ラクー=ラバルトの
”ハイデガー論争” 火付けの書の翻訳である。
(略)
▼デリダの講義には毎週顔を出し、
一番前の中央に鎮座して、特別テープレコーダーを許された人、
と言うのが彼の自慢であった。
拙も初めて渡仏した時、是非デリダの講義を聴講したいと言うと、
もし本当に聴きたいなら席を取りますよ。
デリダの聴講は、朝から並ばないと席が取れないことで大変で有名だった。
A氏は、仏高等研究院の階段教室の最後列をとってくれた。
授業風景の全体が見渡せる場所。
一番前の席に、A氏をはじめ、東大教授たちが並んで聴講していた。
デリダは入室するや、カバンから数冊の書物をとり出し
大きな教卓に並べる。
「前回は何を話したか?」と問うと、
中段あたりのどこかの大学教授らしき男が
「前回は、『もてなし(原文傍点)』云々についてしゃべられました」。
「良し、始めよう」と、講義は始まる。
途中、教壇の隅に座していた男が、ノオトを取り出し、
右最前列の聴講生から全員にサインさせる。
デリダは、教壇を動き回り、聴講者にも時折問いを発し、
笑いと緊張の中で講義を進める。
終わるや否や、待ち構えたようにドドッと数人が彼を取り囲む。
最後に拙も『マルクスの亡霊たち』の出版者であることを自己紹介し、
近くあなたと面会したい旨のアポをとれた。
A氏のお陰である。
デリダがいつも使うホテルで、
浅利誠氏と一緒に一時間位インタビューしたのが懐かしい思い出である。
合掌(亮)
(p.32)