たぶん、他者にはこの「ずれ」がわからない(小池真理子)

クリッピングから
朝日新聞2021年3月20日朝刊別刷be
小池真理子「月夜の森の梟(ふくろう)」第38回
満開の桜の花とずれた時間


言葉になりづらい感覚を
言葉にする技術を持っているのが作家なのだろう。
小池の連載エッセイを読むたび、そう思う。


  (略)
  私はといえば、夫の闘病と死を経験している間に、
  自分の日常と、自分を取り囲んでいる外部の日常とがかみ合わなくなった。
  着ているもののボタンをかけ違えたまま外出し、
  直したいのに直せない時のような、
  背中に匕首(あいくち)を刺されたまま、
  笑顔で人と接しているかのような、
  そんな違和感が抜けない。


  外部を流れていく時間と、
  自分の中を流れる時間との間に明らかなずれがある。
  ずれているのに、ふつうの顔をしながら、ごくふつうに生活している。
  たぶん、他者にはこの「ずれ」がわからない。
  わからなくて当然だから、説明しようと思ったこともない。


  「ずれ」を意識するたびに、様々な夢想が浮かんでくる。
  自分が早くも老婆になってしまったように感じることもあれば、
  子ども時代の自分が、茶の間の炬燵(こたつ)で両親や妹と共に、
  かりんとうを齧(かじ)っているような気分になることもある。
  そこにいる子どもの私には、まだ見ぬ未来がある。
  だが、本当の私はこちら側にいて、
  その未来がどんなものになるのか、知り尽くしている。
  (略)

                         (作家)


f:id:yukionakayama:20210321135052p:plain


自分と他者の間に感じる「ずれ」。
「ずれ」を楽しむ心のゆとりを持てるときもあれば、
うっかり深淵を覗き込んだ怖さを感じるときもある。
その「ずれ」は、他者に対してだけでなく、
過去の自分や未来の自分との間にも存在しているようにも思える。


やさしい夜の殺意 (双葉文庫)

やさしい夜の殺意 (双葉文庫)