「週刊文春」の特ダネ連発を屈辱と考えて頑張ってほしい(池上彰)

クリッピングから
朝日新聞2021年3月26日朝刊
池上彰の新聞ななめ読み
「最終回にあたって」


  自由に書いた14年間
  掲載見送りで中断
  改革評価し連載再開

  最近は、お行儀よすぎでは


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    何事にも始まりがあれば、終わりもあります。
    14年間にわたって連載してきた当コラムは、
    今回をもって終わります。
    今回は朝日新聞の提案により、
    読者へのあいさつの機会をいただきました。


    単に「これで終わりです」と書くと、
    疑念を生じてしまうのがこのコラムの宿命だからです。
    そこであえて説明しますが、
    コラム終了は、朝日新聞社の要請ではありません。
    私自身が70歳を超え、仕事量を減らす一環としての決断です。


    仕事の引き際とは、難しいものです。
    いつまでも働けるのはありがたいことです。
    でも、誰にも老いはやってきます。
    老いの厄介なところは、
    自分の思考力や表現力の摩滅に自身は気づきにくいということです。


    いつの間にか、私のコラムの切れ味が鈍っているのに
    自身が気づかなくなっているのではないかという恐れから
    身を引くことにしたのです。
    いや、そもそも切れ味などなかったと言われるかもしれませんが。
    (略)


この後、池上さんは朝日上層部による掲載拒否事件の経緯、
それに対する自分の意見、記者たちの行動、
新聞界全体への影響について「徹底解説」します。
そして最後に新聞記者のみなさんに対して
綺麗事でなく、ほろ苦い良薬のような激励メッセージを送ります。


    こんなことがあったものですから、
    その後、私としてはコラムの執筆をやめると言い出せず、
    ここまで来てしまいました。


    掲載拒否騒動から6年半。
    その後の朝日の紙面を見る限りでは、
    なんだか”お行儀”がよくなり過ぎた気がします。
    外部からの批判に耳を傾けることは必要ですが、
    気にし過ぎると、批判すべき対象への批判の矛先が鈍ったり、
    何が何でも特ダネを取るのだという意欲が
    薄れてしまったりする恐れがあるように思います。


    最近の総務省の会食接待問題をめぐる「週刊文春」の特ダネ連打を見ると、
    新聞社は何をしているのだと苦情を言いたくもなろうというものです。
    「週刊文春」が何者にも忖度(そんたく)しないで
    特ダネを連発してきた結果、
    編集部にさまざまな情報が集まるようになっていると聞きます。


    新聞社だって読者の信頼を得られれば、
    もっと情報が寄せられるのではないでしょうか。
    「週刊文春」に特ダネを連発されてしまうことを
    屈辱と考えて頑張ってほしいのです。
    (略)


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連載が終了するのは寂しい限りですが、
最終回まで「新聞の読み方」のヒントをくださった池上さんに
一読者として感謝の拍手を送ります。
池上さんが最後に過不足なく読者(と記者たち)に解説できるよう
普段の倍の紙面を気前よく用意した朝日新聞社の決断もよかった。


ジャーナリスト、教育者としての池上さんの活動は
70代でも続くと信じています。
これからも著書や署名記事で大いに学ばせていただきたいです。
14年間、ご苦労さまでした。