マイナーノートで /#01 不要不急(上野千鶴子)

クリッピングから
NHK出版サイト「本がひらく」
2021年4月13日


読者からの人生相談(朝日新聞)でズバッと答えを出す上野さんとは
違う顔が見えた気がした。
新連載のエッセイだ。


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(写真:筆者/同上サイトより引用)


  #01 不要不急


  (略)
  リモートワークで移動の必要がなくなったので、
  都内を離れて八ヶ岳南麓の山の家にコロナ疎開した。
  (略)


  コロナ疎開は「自主隔離」のためだった。
  「3密」を避ければ、互いに距離を置き合うしかない。
  こんな日を予期したわけではないけれど、
  山の家を建てておいてほんとうによかった。


  周囲を森に囲まれた山の家では、
  季節の移り変わりが体感できる。
  日の昇り方や翳り方、日射しの傾き、日脚の長さ……にからだがなじむ。
  そしてふと足早に目的地へ移動していた時には、
  そんなことを感じる余裕がなかったと思い起こす。
  (略)


  山の家は書庫を兼ねた仕事場。
  片流れの天井の高いワンルームの壁一面を書棚が覆う。
  家を建てる前から60平米ワンルームが希望だった。
  北欧の高齢者住宅を訪ねた時、
  高齢者ひとりあたりの標準の広さが60平米であることを知った。
  その時から、自分自身のために60平米の空間を確保したいと思ってきた。
  地価の安い土地なら、そのくらいの贅沢は許される、と。


  それに勤め先の大学を退職するとき、
  研究室の蔵書をすべて引き揚げる必要に迫られた。
  坪単価何百万もする都内の住まいには置く場所もない。
  すべてを山の書庫に移動した。


  その図書館みたいな空間に、ひとりでしーんといる。
  音楽を流すのも好きではない。
  本に囲まれて、誰からも邪魔されずにひとりで過ごす
  この空間の静謐がほんとうに好きだ。
  ひとりでいることが苦にならないし、
  ひとに会いたいとも思わない。
  (略)


  しごとはキャンセルつづきで収入は激減したが、
  代わりに支出も激減した。
  おカネが財布から出て行かない。
  使うところがないからだ。
  これでは消費が落ち込むのも、むりはない。
  (略)


  子どもの頃……他人の役に立たない人生を送りたい、と思っていた。
  世の中の片隅でひっそり暮らすから、
  あなたの人生の邪魔をしない代わり、
  わたしの人生の邪魔もしないで、と思った。
  ひとりで放っておいてほしい、と思った。
  そうしたら、ほんとうにひとりでいることが推奨される時代が来るとは。
  (略)


  コロナ禍を生き延びてリアルでお会いしましょうね、
  とメッセージに書く。
  ほんとにそんな時が来るのだろうか、
  と自分で自分につっこみを入れる。
  二度とそんな機会が来なくても、それはそれでいいような気もする。


  わたしが「老後」という人生の撤退戦に入ったからだろうか……。
  だがこの老成の気分は、若い時から親しいと感じる。
  「老成」というが、「成熟」したわけではない。
  年齢と成熟になんの関係もないことは、いやというほど味わった。


  だが盛りを過ぎたもの、衰えていくもの、滅びていくものが好きだ。
  頽落(たいらく)はその実、すこしもうつくしくない。
  それがなんだというのだ。
  ひともモノも、クニもマチも、生まれて栄えて滅びて、朽ちる。
  それでいいではないか、とどこかから声がする。
  (略)


在宅ひとり死のススメ (文春新書)

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(上野さんの他の著書も読んでみたくなった)