6/2付讀賣新聞朝刊のインタビュー(聞き手:文化部・待田晋哉)で
作者・多和田葉子は新作『星に仄(ほの)めかされて』について
こう発言している。
この旅をする若者たちはまだ家族も、定職もない。
モラトリアムのような存在です。
社会の経済を支える柱ではないけど、
彼らのような『流動分子』によって世界の文化交流は起きる。
「流動分子」という不思議なキーワードに惹かれて、
このシリーズ前作『地球にちりばめられて』を借りてきた。
(地元の公立図書館は6/1から段階的にサービスを再開。
6/24からは書架、座席の2時間以内での利用が可能になる)
登場人物のひとりHirukoはスウェーデンのイェーテボリ大学留学中に
祖国(日本と想定される)を喪失。
以来、移民としてノルウェーを経て、現在デンマークに住んでいる。
Hirukoは異国で生き抜くために人工言語を作ってしまう。
メルヘン・センターの求人広告を「週刊ノルディック」で見つけて応募した時、
わたしはまだノルウェーのトロンハイムに住んでいた。
ちょうど大学に残れないことがわかった時だった。
しかも、帰ろうと思っていた国が消えてしまったので、
これからどこで暮らしたいいのか分からなくて途方に暮れていた。
メルヘン・センターの求人広告を読みながら、
ふと、わたしのつくった言語を移民の子どもたちに教えてみたいと思いついた。
この言語はスカンジナビアならどの国に行っても通じる人工語で、
自分では密かに「パンスカ」と呼んでいる。
「汎」という意味の「パン」に「スカンジナビア」の「スカ」を付けた。
スウェーデンには「ポールスカ」と呼ばれる民族舞踏があり、
ポーランドから来たという意味にとれるのだが、
実際のところ、この踊りはスカンジナビア起源ではないかと言われている。
その不思議さを語感にいかしてみた。
わたしのパンスカは、実験室でつくったのでもコンピュータでつくったのでもなく、
何となくしゃべっているうちに何となくできてしまった通じる言葉だ。
大切なのは、通じるかどうかを基準に毎日できるだけたくさんしゃべること。
人間の脳にはそういう機能があることを発見したことが何よりの収穫だった。
「何語を勉強する」と決めてから、教科書を使ってその言語を勉強するのではなく、
まわりの人間たちの声に耳をすまして、音を拾い、音を反復し、
規則性をリズムとして体感しながら声を発しているうちに
それが一つの新しい言語になっていくのだ。
(pp.37-38)
言語フェチである僕は
こうした一節を読むと物語にグッと引き込まれしまう。
多和田葉子とはどんな作家なんだろう。
2017年4月18日讀賣新聞朝刊に
作者のこんな紹介がある。
早大卒業後、1982年にハンブルグへ渡った。
91年にデビューし、『雲をつかむ話』(読売文学賞)をはじめ精力的に執筆を続ける。
2006年からベルリンに住み、日本語のほかドイツ語でも創作を行い、
昨年(引用者注:2016年)はドイツの権威あるクライスト賞を受賞した。
6/2付の前掲記事にはこんな紹介もある。
東京生まれ。早稲田大卒業後、22歳のときドイツに渡り、
日独2言語で創作するようになった。
1993年に『犬婿入り』で芥川賞を受賞した。
「当時は芥川賞を取ったのに、なぜ日本に帰らないのかとよく質問された」と振り返る。
(略)
近年は、国内外でノーベル文学賞に近い存在として評価が高まる。
「誰が受賞するかによって作品について話す機会になり、政治的な議論もわき上がる。
ほかの文学賞ではそこまで話題にならないしその意味では面白いのかな」と語る。
多和田は同記事でこうも言っている。
だからこそ境界を越える者の共同体のようなものを書きたかった。
若くはないけれど、国から国への移動が多い私も一種の流動分子。
精神的なものを彼らに託していると思う。
「流動分子」と自認し、ベルリンを本拠地に
日独2ヵ国語で作品を発表している多和田でなければ
日本国の消失をこの作品のようには表現できなかったろう。
シリーズは当初の三部作の予定を超えて、
さらに広大な物語になるらしい。
展開が楽しみだ。